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今年で39年・・・フィドル教室はまだまだ続く!
梅田ナカイ楽器音楽教室 平地 澄彦

 私が梅田ナカイ楽器店でフィドル教室をはじめさせていただいてから、今年で39年を越えました。当初、現在 アメリカで成功されている 田渕章二氏が ご指導される予定でしたが、彼が本格的にプロになるため渡米することになり、教室の講師が不在ということから、私が1967年8月に現教室を始めさせていただきました。フィドル教室としてのジャンルは、ブルーグラス、カントリ−、スクウェアダンス曲、アイリッシユ等で、終わった後はお酒で締めくくるというのが私の教室です。過去38年間で教室に来られた方は、延べにして250人位でしょうか、その中一ケ月でやめる人、十年以上通い続けている人 教室に3年通ってから 3年クラシックを習い、また戻ってきた人、芸大出身の人、東京のプロの方に習ってから こちらに来る人、一時 私が東京にしばらく行っていた時があり、大阪に帰って来ないかもしれないと言ったら、勤め先に転勤願いを出した人、そして三角関係、恋愛騒動、家庭内問題等を持ち込む人、などなどでした。以下、過去39年間の歴史を大きく5つに分けて、フィドル教室のエピソードを語ってみます。

 

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プロローグ
初期時代
第二期時代
第三期時代
第四期時代

第五期時代

第六期時代

 

●プロローグ
私がフィドルという楽器を始めたのは1962年です。その時代は神戸市岡本の「シティライツ」の高田協二氏が、関西学院大学のナッシュビル・ヒル・トッパーズで、また惜しまれながら閉店してしまった神戸市「ロストシティ」の野崎謙治氏が、立命館大学の初代サニー・マウンテンーボーイズで、それぞれ現役で演奏されていた頃です。

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●初期時代(1967〜75年)
最初の生徒は 大阪歯科大学ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズの由良博。現在神戸で歯科医院開業中。オレンジ・ブロッサム・スペシヤルが弾きたくて、そればかり練習されていました。二人目の生徒は、キャンディ川口のバンドに参加した女性 辻さん。学生だったので明日試験があるという時は、練習中に試験勉強もしていました。
 岸本隼人の兄 兵一が習いに来ましたが、高校生の弟に全部コピーされてしまうとこぼしていました。
 フラット・マンドリンの谷村順三、東京に行った祇園隆が初期時代の終わり頃、高校在学中に相次いで入ってきました。
 このころは大学のクラブや同好会の全盛期で、ブルー・グラス・ボーイズ、スタンレー・ブラザーズ、フォギーマウンテン・ボーイズ等の大御所から若手のブルーグラス・バンドに話題が移行する時代でした。火事でなくなってしまった、梅田OS劇場裏のウエスタン喫茶「マンハッタン」に、毎週教室帰りに生徒全員を連れて通ったことを思い出します。

1975年2月26日C&W喫茶マンハッタンにて、左から二人目が私、右端が谷村君です。


1975年夏頃、後列左から 唯吉、(故)北村、黒田、名古地、楠本、寺本、(?)、各君、

前列は、私と家内です。

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●第二期(1976〜80年)
1974年にビル・モンローが初来日し、フィドル奏者ケニー・ベイカーの人気のおかげで、生徒数が一挙に18人増えました。
単独でアメリカに渡り、ジミー・マーティンのバンドと一年暮らし、ブルーグラスの裏話に詳しい白井まち子(現在アメリカ滞在)がいました。
 教室のメンバーが原稿を書き、ガリ版刷りで会報を発行していた関西フィドラーズ・コンベンションの会長、井田顕がいました。この頃教室の演奏会の話が持ちあがりましたが、彼が中心になり守口市のコミカ温泉や、大阪梅田「チャーリー・ブラウン」で何回か演奏会を開きました。
フォーク歌手有山淳司の奥さん、通称トコちゃんが教室に通って練習しているとき、彼が廊下で彼女の練習が終わるまでじっと待っていたこともありシャイなところを感じました。


1976年8月宝塚ブルーグラス・フェスにて、

一番前でお嬢さん4人に囲まれているのが フイドル教室会長 井田顕君です。

 

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●第三期(1981〜82年)
第1期黄金時代の生徒が卒業していき、数々のミュージシャンが来日し終え、ブルーグラスが下火になっていくころです。でも女性の生徒(二十歳くらい)が多く、しかもきれいな女性が多かった。生徒は少なくなりましたが、その時の一人で現在ジャズ・フィドルの名手、金本裕之(高校生)がいました。

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●第四期(1983〜90年)
和製ブルーグラス・バンドの高石友也とナターシャ・セブンの影響を受けた人や、他の音楽に飽き足らず異なった世界を求めてやって来た人が多く参加しました。レベルも高い時でした。演奏会にも多く参加しましたし、パート譜を作り10人以上のフィドラーによるアンサンブルで宝塚のフェスに出たことは良い思いでです。
 ナターシャ・セブンのバンジョー奏者/城田じゅんじ、ナターシャ・セブン解散後のフィドラー相川友子が教室に来たのもこのころでした。
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●第五期(1991〜2000)
フィドルという難しい楽器を苦労して手がける人が少なくなってきています。今一番感じることは、この音楽を好きになる年齢層が 60〜70年代と比べて15年以上高い年代になっていると感じます。そして音楽自体の促え方の深みがなくなってきているとも思います。
 


宝塚フェスにてビル・キースが我らがテントへセッションに来る!!

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●第六期(2001〜現在)
 現在 教室の室長/西村和志が、このホームページを自主作成し山本喜一郎・井上仁人・鶴賀孝幸・等の応援を得てOBの方たち共々、教室仲間の友好を始めとしてフィドル音楽の発展を願い、さらにカントリーミュージックの裏側に潜む人生の機徴、寛容な心にすこしでも多くの人達にふれて欲しいと願っています。

 

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(以上、順不同敬称略)