じいじの認知症の程度は、一般的にはそれほどひどいものではないんだろうと思います。自分のことは自分でするし、衛生観念もしっかりしている。その場限りであっても、会話もそこsoこ成り立ってる。できれば少しでも長く、こんな状態でいてほしい。
ウチのじいじの認知症
ウチのじいじの認知症が、どの程度の状態かっていうとですね、
・TVの内容はほぼ理解できていない様子。絵ヅラを目で追ってるだけで理解できるものは、眺めていて楽しいようです。時代劇は好きですね。
・日にちや曜日、時間や季節の感覚はわかっていません。
・満腹、空腹がわかりにくいようです。特に満腹感が得られないようで、目が欲しいといくらでも食べます。
・親しい友人や家族以外のことは区別がつきません。知り合い、という人間関係はなくなったみたい。
・今したこと、言ったことをすぐ忘れます。
・なので、何度も同じことを言い、同じ質問をします。質問の多くは孫と息子に関してです。
・外出や、イベントなど、「いつもと違う環境」に強いストレスを感じる様子で、支離滅裂なことを言うことがあります。
訂正したり、叱るのはよくない?
よく、福祉関係の人が、何でも肯定して、叱らないように、と言いますよね。
でもね、これって、ヨメの立場だとできるんですよ。ばあばは違います。「またこぼした!こうすればこぼさないでしょ」とか、「何言ってんの?今は2月!」とか、結構、言っちゃう。じいじは叱られた子供みたいになるし、周りの家族がいたたまれなくなることも。
頑張って優しく接しようと思ってるけど、思わず言っちゃうのかな。これって、大丈夫なのかな?
実は先日、ばあばに聞いてみたんだ。そしたらね、ばあばなりに、一生懸命なんだよ。
近所に、うちのばあばと同世代の口うるさいおばさんがいて、やっぱり旦那さんが認知症、始まってる。でも、じいじより軽い状態なんだよ。でね、そのおばさん、とことん口うるさくしているらしい。なんだか、いつでも怒っているような口調で話すおばさんなんだけどね。
反対にとても優しいおばさんがいる。この人の認知症の旦那さんは、すでに近所中に迷惑をかけ始めている。
で、「福祉の人が言うように、まったりとぬるま湯につけておいたら、余計にバカになる」というのがばあばの結論らしい。
もちろん、いつもいつもきついコト言うわけじゃなく、折に触れて「しっかりしてよ」という思いを込めて叱るんだけどね。
じいじが一見それほど認知症が進んでいないように見えるのって、ばあばが事細かに声掛けしているからのような気がするんだ。「仏様拝んだ?」「歯、磨いた?」「今日は体操教室の日だよ」「お茶飲む?」
・・・声をかけなかったら、いったいどれだけのことができるんだろうか。
でも、うちはこれでいいのかな、と最近思うのです。
もともと世話焼きで、いちいちアレしたか、これをしろ、と言うばあばと長年暮らしているのです。じいじは、こういう状態が嫌いじゃない、というか、自然なんだと思う。その延長線上に今の生活があるわけで、少し、指示や声掛けが増えただけなのかな。そう思うと、自然な流れって感じがする。
別に、認知症になったから、イライラして怒ったり、口うるさくなったわけじゃないんですよね。ばあばは、もともと口うるさい!それを変えようと、一時期格闘してストレスを感じていたようですけど。
嫁はどう接したら?
少し俯瞰してみれば、ヨメは自分の家族ではなく、同居している息子の家族って思われてるんじゃないかな。ふふ、真っ先に忘れられる立場の人間だよね。
ふみ姉は、この家に嫁に来て以来、じいじには敬意をもって接してきたつもりです。なので、ふみ姉は飴になります。「そうだね」って同意するだけじゃなく、いいところを探して、「すごいね」って言ってあげられる飴です。最近のじいじは、なかなか自分でアクションを起こさなくなっているから難しいかもしれないけどね。
うちにはうちの「認知症の取説」
ふみ姉の家では、結論から見れば、そんなに接し方が大きく変わってないのね~。という感じです。
家族同士の関係って、みんな違うでしょ。これまでと大きく変わったことをしないほうがいいような気がするんですよ。その中で、少しやさしさや丁寧さをトッピングするんでいいのかもしれない。
認知症は長いんですよね。気長に付き合うには、世の中の情報に振り回されないことも大切かもしれません。何が大事かわからなくなったり、ストレスで泣きそうになったときは、うちにはうちの「認知症の取説」って思うことも大事なんじゃないかな。
ふみ姉たちだって、他人事ではないよね。いつかは順番が回ってくるんだから。こうして親の背中を見ながら、将来に備えるための勉強をしてるんだろうね。